Happyをsearchしてる

ボキャブラリィがない

絵空事

音楽は人の人生を記録する作用みたいなものがあると感じることがある。青春時代のヒットソングは聴けばその時代に帰ることが出来る。好きな人が好きだった曲を聴くと、その人やその人への感情が蘇る。

脳みその眠っている記憶を呼び出すきっかけに音楽がなり得るというだけのつまらない話かもしれない。

でも、僕が今日した経験はこんな戯言を言わせしめるものだった。

今日はANIMAX MUSIX2016に参加した。

まず何が楽しかったか、自分の人生に寄り添ってきた曲が数年の時を経てライブとして立体的な体験になったことが良かった。

金色のガッシュベル』は小学校の頃揃えた唯一の漫画だったしアニメの主題歌「カサブタ」は言うまでもなく僕の親しみのある最古のアニソンと言っても殆ど過言じゃない。

ギルティクラウン』は高校生の時、僕の愛するsupercellがキャラクターデザインと歌を担当するということで初めて深夜にテレビを付けてアニメを見るというところまで引き込んだ僕とアニメの関係性において切っても切り離せない作品だ。

両者ともに思い入れがかなりある曲で、それでも、もう過去となったものだった。それが突然『今』として現れたんだ。沸騰するような感覚とともに最高になった。

 

そして、

状態としては最高潮の状態でスクリーンに流されたのは、「さんかれあ」だった。

 

一瞬で「さんかれあ」だ。と思った。内田真礼さんだ。と感じた。

ここで正常な思考が出来たならそこで生まれる迷いはOP?ED?どっちだ?とかだっただろう

でも次の瞬間には僕はアニメーションの中に入り込んだような感覚に陥っていた。

ここはどこだ?となった。れあちゃんが喋っている。内田真礼さんの声で。僕の知らない内田真礼さん。

本物の内田真礼さんがステージの上に椅子に座って歌い始めた。僕は手に持っているものを全て捨てて、感覚は目と耳だけに集中した。

ずっと真礼さんの表情を見ていた。真礼さんの目を見ていた。真礼さんに見えているもの、真礼さんが感じて、表現しているものを消化するでもなくただ目と耳で受け止めていた。

 

僕はさんかれあ文脈の内田真礼さんを知らない。アニメを見ていさえしていても、2012年の真礼さんについてあまりに知らない。出会っていないから。

だから、「さんかれあ」はアニメとしては十全に生きていても「さんかれあ」文脈の真礼さんは僕の中で死んでいる(ここではさんかれあが今の内田真礼さんに繋がっているから今も生き続けているとかそういう議論をするような設定ではなく)「さんかれあ」に限らず、僕が真礼さんと出会う前の全ての作品文脈においても同じことなんだけど。

とにかく、さんかれあには記憶や思い出はなかった。でも、今日感じたんだ。真礼さんの記憶や思い出を。その目と表情には過去が見えて、その歌には今を感じた。今日の経験を無理矢理言葉にするときっとこういうことになる。

内田真礼さんが「さんかれあ」と過ごした時間、感情を、その断片を味わった気になった。

そして、アニメ「さんかれあ」に今も魂が込められている2012年の内田真礼さんと今アニマックスのステージに立っている内田真礼さんが線で繋がった、そういったドラマを確かに見た。

 

僕の思い出が、マイナスから0になって、そしてプラスになったそんな1日だった。

という絵空事。

 

オタクに幸せな妄想をさせてくれるANIMAX MUSIX2016、本当にありがとう。

また1人、内田真礼さんを好きになったよ。